【高田かおりの生い立ち】幼少期㊙エピソードを公開!結婚して初めて感じた両親の影響^^

少しでも私の生い立ちに興味を示してくださって嬉しいです(*´∀`*)笑

このページでは私が結婚するまでの人生を簡潔に振り返りつつ、私が両親から自然と影響を受けていたこと、についてお話していこうと思います^^

今だから思うけど、両親が言っていたことだったり両親が取っていた行動って自分が考えている以上に私の人生に影響を及ぼしてたんだなって感じるんですよね。

特に真似しようと思ったわけでもないし、「こうしなさい!」って言われたわけでもない。

でも子供の頃からその両親を見ていたせいか、ある時ふと“同じような行動を取っていた”なんてこと、みなさんはありませんか^^?

私の中の「自分がどういう母親であるべきか?」という考えには確実に母が影響していますし、子供が大きくなり「家族のために何ができるか?」を考えた時、まっさきに出てきたのは父の言葉でした。

しかもこれは自分で意識してそうなったわけではなく、自然と影響されているのが不思議ですよねε-(´∀`*)

今となってはそういったキッカケを与えてくれた両親に感謝していますし、このブログを通して私が両親から受けた影響をみなさんにも聞いてほしいなって思います✨

幼少期の㊙エピソードも記載したので、良かったら最後までお付き合いください(´∀`)

高田かおりのワンパク幼少期(笑)

あんまり自分では覚えてないけど、小さい頃はかなりワンパクだったみたいです^^

お姉ちゃんの倍以上手がかかったって母が言ってました(;´∀`)汗

あ、早速なんですが1つ私の小さい頃の㊙エピソードをお話してもイイですか?笑

うちの実家の近くにそんなに大きくないスーパーがあるんですけど(近所の人ほぼ全員が行きつけ)、よく母と一緒にそのスーパーに買い物に行ってたんですね。

そしたらある日。私が5歳ぐらいの時って言ってたかな。

母が目を離してるスキに家から忽然と姿を消した私。

家の中を見回したら玄関のカギが開いていたみたいで、、、、自分が親だったらって考えるともう気が気じゃないですよね^^;(ほんとゴメンなさい)

で、母が血眼になって近所中を探し回った末、いつものスーパーに行くと。。。

そこには“カゴいっぱいに入ったお菓子をレジに持ち込んでいる私の姿”が!!笑

レジのお姉さんは不安そうな表情をしつつも「ピッピッ」とお菓子を打ってたみたいで、急いで母が謝って返却したらしいです。

ほんと自分で言うのもなんだけど、とんでもない行動力ですよね(;´∀`)

スーパーの中でハグレるならまだしも、家抜け出してスーパーに到着して早々、お菓子をカゴに入れてレジに持っていくって(笑)

きっと日頃の母との行動を本能的に覚えてるんでしょうね(^_^)

家に帰ってからさすがに怒られたみたいだけど、まぁ通じるわけもなく^^;

だって私は何も覚えてないしッ(*゚∀゚)❗笑(つまり理解してない)

小さいお子さんがいるお母さん方、こんなおバカな子もいるので気をつけてくださいね(゜o゜;!(どれだけバカしようと結局自分の子は可愛いですけどね^^)

とまぁ、こんなワンパクな幼少期を送った私ですが、うちは姉がかなりしっかりしていたせいか、私はいろいろと自由にやらせてもらってたな〜って印象です。

20歳頃まで本当に何も考えてなかったし(笑)

上京、就職、そして母になる

実家が田舎の方だったこともあって、地元の中学・高校、そして専門学校(2年制事務職専門コース)を出た後はよくある話で「何となく上京したいな〜」って感覚で関東の企業に事務職として就職しました^^

夫と出会ったのはその職場ですね✨

彼は私の1コ下でまだ若かったけど、高卒で就職していたので職歴は私よりちょっと先輩(*゚∀゚)

なぜだかすぐに意気投合して、お付き合いから結婚するまで2年かからなかったです^^(今考えるとまだ若いのに思い切ったな笑)

うちはどっちかっていうと私の方が気が強いかな〜なんて思ってるんですが、プロポーズはキチンと夫くんからしてくれました✨

私はもちろんOKだけど彼は「メチャクチャ緊張した…」って(笑)

それまでのお付き合いの流れとかで何となくOKしてもらえるだろうってわかっててもやっぱり緊張するものなんですかね^^汗

結婚したのが22歳で、長男を授かったのが23歳。
もう幸せの絶頂でした(*´∀`*)

その後長男を産んでからすぐに次男を授かったので、働きには出ませんでした^^
親二人子二人、家計的に少し不安はあったものの、夫くんも「家にいてイイよ」って言ってくれてたし、基本的には専業主婦生活✨

男二人の年子ということもあって正直かなり手を焼いたけど、やっぱり我が子は可愛いっ(*´∀`*)

どこかのサイトで見たんですけど、女性に「人生の中で最も幸せを感じた瞬間はいつですか?」って聞くと多くの方は『子供が小さかった頃』って答えるらしいですよ♪

もちろん幸せを感じる瞬間は人それぞれかもしれないけど、私は激しく共感しました^^

と、ここで少しうちの両親のお話をさせてください(^_^)

今の私を形作っている両親の影響

両親はいろいろと私の自由を尊重してくれて、自分が母となった今、より一層感謝の気持ちは強いです^^

父が普通のサラリーマン。

母は私が自立するまでパートにも出ず、ずっと家事に勤しんでいたので、今思えば父は1人で家計を支えてくれていたんだな〜とちょっと感慨深いところもあり。

まぁ、私としては幼少期に母がずっと側にいてくれたことがどれだけ幸せなことだったのかってことに気づいたのは自分が母親になってからだったんですけどね^^;

だからできる限り我が子が小さいうちは私も側にいてあげたいって思ってました✨

ちなみにいちサラリーマンとして家計を支えていた父の口癖は「身体で(働いて)お金を稼ぐには限界がある」

余程役職が高ければそれなりのお給料ももらえるだろうけど、家族4人を1人で養うって本当に大変なことなんだって今なら私もわかります。

父に仕事のこととか給料のこととかは特に聞いたことなかったけど、今思うと1人で家計を支えているわりに帰ってくるの結構早かったんですよね(笑)

実はその理由が“副職として投資をやってるから”だってことを知ったのはたしか私が高校生ぐらいの時だったかな。

もちろん当時は投資と聞いてもピンとこなかったし、得意気に話す父の投資自慢もサッパリ記憶にございません^^笑

実際結婚してから必要と感じるまでは、一切投資に興味も持ちませんでしたからね(;´∀`)

でも父の影響なのか、私の中で「お金は働いて稼ぐもの」という考えはあまりなく、同様に投資に対しての抵抗っていうのもなかったかなって思います。

私が両親から受けた影響

  • 専業主婦だった母の影響…「自分もなるべくずっと子供の側にいてあげたい」という想い
  • 仕事と投資で家計を支えていた父の影響…「投資なら在宅で家計を支えることができるかもしれない」と考えるキッカケ

この両親から受けた影響がキッカケで今の生活があるのだとしたら、やっぱり「ありがとう」って言いたいです(*´∀`*)

家族への愛だけじゃどうにもならないことってあります

とはいえ、私は最初から望んで「専業主婦兼バイナリーオプショントレーダー」を目指したわけじゃありません^^

結婚して優しい夫と二人の子供たちに恵まれ、私自身も本当に幸せを感じていましたが、その一方で「家族を好き」って気持ちだけじゃどうにもならないことってあるんですよね^^;

幸い子どもたちが小学校に上がる頃まではずっと側にいることができましたが、そこからは子どもたちにかかる費用もグッと大きくなってきます。

現実ってホント残酷(;´∀`)泣

私の父は1人で家族4人を養っていましたが、全ての人が同じようにできるとは限りません。

結婚生活はお互いがパートナーに頼り切るのではなく、できる限り相手を思いやり協力し合っていくべきなんですよね。

その“家族に対してできること”として私が選択したのが『バイナリーオプションによって家計を支えること』でした(^_^)

私が投資、そしてバイナリーオプションを始めたキッカケ、そしてバイナリーオプションによって生活はどう変わったのか?

詳細は別ページにまとめてありますので、良かったらコチラも読んでみてください✨